芭蕉終焉の地

また、雨が降ってきました。
まだ梅雨が続いています。
梅雨明けは、いったい何時になるのでしょう、8月にずれ込みそうな、そんな様相ですね。
もう、堪忍してください、おてんとうさま、顔をみせてくださいませ。
azisai.jpg
「今から参議院選挙の投票に行こう」と、さっきまで思っていましたが、身体が重く、おまけに頭重がはじまりました。
本意ではないのですが、棄権することにしました。

ちょっと、ブログすることに。
大阪のメーンストリートは、御堂筋。
梅田から難波まで、イチョウの並木がつづいている。
その中ほどのイチョウの木かげに、句碑がたっている、肌の荒い黒ずんだ自然石に、

  旅に病てゆめは枯野をかけまわる

と彫ってある。(ちょっとちゃう 旅に病んで…かけめぐる)
そしてその隣に、背のひくい切り口には、 
 此附近芭蕉翁終焉ノ地ト傳フ
芭蕉終焉の地.jpg

若い頃、私はこの御堂筋を何十回、いやどれほど車で走ったろう。
その隣のメーンストリート四ツ橋筋も一方通行。
御堂筋と四ツ橋筋は、わたしの車を運転する、という原点だったかも知れない。
梅田から難波の突き当りは、高島屋、そこが私の出発地、はじめて仕事に就いた場所。
もう、懐かしいなんかは、とおり超え、ほとんどその頃のことは、ほんの一かけらの記憶しかない。

しばらくのあいだ、西区の阿波座に居を(と云っても12階建ての10階のワンルーム)構えていた。
1度だけ、すぐ上の姉、健子さんが訪ねてきたことがあった、何故かそんなことを記憶している。

そして話は戻るが
この芭蕉終焉の地を知ったのは、私が俳句をやっと本格的に始めた63歳の年なのだ。
大阪には年に一度くらい帰っていた。
頻りに俳句を勧めてくれた長女淳子さんと、ここ芭蕉終焉の地をはじめて訪ねて知ったのだった。

何故、今こんなこと書いているか
ここ9階に引っ越した時、昔買っておいてまったく読んでいなかった
文庫本「わたしの詩歌」文芸春秋編を見つけたのだ。
夜、寝付くまで、最近これを2,3ページ読んでいる。
そのなかに榊莫山と云う書家がこの芭蕉終焉の地のことを綴っていたから、ブログにしたまでのこと。
要するに、今、ブログに書く材料がないってこと。

そこから、今は亡き長女淳子さんには、どれほど迷惑をかけたか、どこまでやさしい姉だったかを、しんみり想いだしている。
その姉淳子さんは、自分の今の歳”77”で亡くなっている。
なんとも言い難い。

また、
健子さんが
いっとき住んでいたあの阿波座の部屋まで、どうやって探し中ててきたか、今聞いてみたいものだ。
「あんた、いったい何してんの」って。
あの頃の自分は上品な部類のハングレ状態だった、のだ、のだ。
他人に云えない悩みを抱えて。
今となっては、他愛もないことでした。

   この世への出口はここか昼寝覚

この記事へのコメント