わたしの城下町

仙台はまだ梅雨明けしないのかな⁉
さっき、33,9℃まで、気温は上がり、今、午後4時前だが空は快晴!
でも、小生には、毎日のようになんとも云えない頭重がときどきある。


熱を測れば、昨日も37℃、今日も37,2℃の微熱が木曜日から続いている。
風邪気味なのは間違いないが、なんとも体調は良くない。
これが頭重とあわさり、まず気分が悪い時間帯がある。

ま、脳梗塞を患っている自分には仕方ないことなんだろうナ。
考えまいと思うんだが、やっぱり時にそれがクスぶるんだナ。

ま、しゃーない、しゃーない、気圧が低いあいだ、頭重はわたしのお友達と思おう。

あるノンフィクション作家のエッセイからヒントを得て
小生なりにおもしろおかしく筆ってみましょう。

「わたしの城下町」は、大阪育ちの私には、やっぱり大阪城だろうな。
悩み多き、10代だったか、はたち前後に作った句

梅雨の夜の大阪城のエメラルド
梅林の香にゐて仰ぐ大阪城

雨でビショビショ大阪城がわたしの涙目にはエメラルドに…。
梅林なんて、若いころのわたしには、梅の花より香りに惹きつけられていた。

あの頃、昭和30年代の京阪電車の終点は天満橋、そこから歩いて大阪城のすぐそばの茶店で、昼に夜に、よくあぶらを売っていた。
クヤシイこと、ナヤミヌイタときが、その茶店がわたしを落ち着かせる場所だった。特にサミシイときが・・・。
あゝ「茶店」って喫茶店のこと。そのころの表現はやっぱり「サテン」
(たのしいとき、うれしいときは別の場所だった)
私の住んでいたのは京阪沿線の「香里園」
そこから京阪急行で「香里園」から「京橋」で、ひとつ停車し終点が「天満橋」だった。
とにかく、「わたしの城下町」はそこなのだ。
言っときますが、その当時の「香里園」って、とっても雰囲気のいい、そして品のいい人達が多い住宅街のなかにありました。

啄木の

”不来方のお城の草に寝ころびて空に吸はれし一五の心”

思春期センチメントっぽい、みんなが知っている歌。
わたしもこの短歌には、心惹かれたよ。
啄木の「わたしの城下町」だろうし。

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で、思い出すのが梶光夫の

「流れる雲よ、城山にのぼれば見える君の家……ああ青春の思い出は、わがふるさとの城下町」
で、そのあと当然、小柳ルミ子の(格子戸をくぐりぬけ……)何故かわたしは大声で歌ってしまう『わたしの城下町』
これほど左様に啄木の「一五の心」ってのは共同体に呪縛された日本人の”演歌の心につながっている。

それと、もう ひとつ

”いたく錆びしピストル出でぬ砂山の砂を指もて堀りてありしに”

これは
石原裕次郎の『錆びたナイフ』
♪砂山の砂を指で掘ってたら、まっ赤に錆びたジャックナイフが出て来たよ♪
を作りだしたと…。私がときどき口ずさむ大好きな歌。

なんやかや、あんまり意味ないこと書いたような。
今日はこれで、チョンとします。

芭蕉終焉の地

また、雨が降ってきました。
まだ梅雨が続いています。
梅雨明けは、いったい何時になるのでしょう、8月にずれ込みそうな、そんな様相ですね。
もう、堪忍してください、おてんとうさま、顔をみせてくださいませ。
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「今から参議院選挙の投票に行こう」と、さっきまで思っていましたが、身体が重く、おまけに頭重がはじまりました。
本意ではないのですが、棄権することにしました。

ちょっと、ブログすることに。
大阪のメーンストリートは、御堂筋。
梅田から難波まで、イチョウの並木がつづいている。
その中ほどのイチョウの木かげに、句碑がたっている、肌の荒い黒ずんだ自然石に、

  旅に病てゆめは枯野をかけまわる

と彫ってある。(ちょっとちゃう 旅に病んで…かけめぐる)
そしてその隣に、背のひくい切り口には、 
 此附近芭蕉翁終焉ノ地ト傳フ
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若い頃、私はこの御堂筋を何十回、いやどれほど車で走ったろう。
その隣のメーンストリート四ツ橋筋も一方通行。
御堂筋と四ツ橋筋は、わたしの車を運転する、という原点だったかも知れない。
梅田から難波の突き当りは、高島屋、そこが私の出発地、はじめて仕事に就いた場所。
もう、懐かしいなんかは、とおり超え、ほとんどその頃のことは、ほんの一かけらの記憶しかない。

しばらくのあいだ、西区の阿波座に居を(と云っても12階建ての10階のワンルーム)構えていた。
1度だけ、すぐ上の姉、健子さんが訪ねてきたことがあった、何故かそんなことを記憶している。

そして話は戻るが
この芭蕉終焉の地を知ったのは、私が俳句をやっと本格的に始めた63歳の年なのだ。
大阪には年に一度くらい帰っていた。
頻りに俳句を勧めてくれた長女淳子さんと、ここ芭蕉終焉の地をはじめて訪ねて知ったのだった。

何故、今こんなこと書いているか
ここ9階に引っ越した時、昔買っておいてまったく読んでいなかった
文庫本「わたしの詩歌」文芸春秋編を見つけたのだ。
夜、寝付くまで、最近これを2,3ページ読んでいる。
そのなかに榊莫山と云う書家がこの芭蕉終焉の地のことを綴っていたから、ブログにしたまでのこと。
要するに、今、ブログに書く材料がないってこと。

そこから、今は亡き長女淳子さんには、どれほど迷惑をかけたか、どこまでやさしい姉だったかを、しんみり想いだしている。
その姉淳子さんは、自分の今の歳”77”で亡くなっている。
なんとも言い難い。

また、
健子さんが
いっとき住んでいたあの阿波座の部屋まで、どうやって探し中ててきたか、今聞いてみたいものだ。
「あんた、いったい何してんの」って。
あの頃の自分は上品な部類のハングレ状態だった、のだ、のだ。
他人に云えない悩みを抱えて。
今となっては、他愛もないことでした。

   この世への出口はここか昼寝覚

晩翠句会

昨日、久しぶりに太陽が顔を出したのに。
また、今日は雨、やっぱり梅雨なのだなぁ。
仕方ないナ、梅雨が明けるのを待とう。

昨日は晩翠句会、なんとか終えました。
みんないい連衆、今回は出席者わずか六名でしたが、楽しい雰囲気のいい句会。
ここ半年、1年、目に見えて上手くなっていきます。
私には、人に俳句を教えるという生意気なことは、とてもできません、そんなつもりもありません。
自分の知っているだけのことを、伝えるつもりでやっています。
逆に教えられることもあります。
だから、みんな続いているのです。
それでも終わったら、ホッとします。

体力的にもきつい時がある、脳の回線もほつれるわ、もつれるわ。
今、まさに云おうとしたことが、一瞬の間、ちょっとの間が空けば、口に出ない時がある。
歳の所為だけとは、思えない時がある。
特に地名、著名な俳人の名、すんなり出てこない時が、たびたびある。
「脳梗塞が、また…。」だけは避けたい。

ま、すっかりダメになるまで、頑張りましょう。

このブログ見ていたら
福島の好蔵さん、後を頼みますヨ。
その覚悟で俳句にじっくり取り組み遊ばせ。
あなたには「久保田万太郎」クラスの素養が…。

江戸切子に突き出さるるや心太  あきを
施設にてまどろむ母に団扇風   昭彦
雲の峰ふるさと遠い父母の墓   好蔵
フクシマのそれでも美しき夏木立 恒治
転勤と明るき声や梅雨に入る   美代子
水澄し四分の三のワルツかな   三男
裏庭の独活の花にも日の差して  みよ
この世への出口はここか昼寝覚  麦雨

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さてさて、どうなることやら

ブログ会社の大幅メンテナンスに戸惑っています。
上手くやれなかったら、どこかへ引っ越しも考えなくては。
この歳では、やっかいなことは、もうごめんです。

まずはテストです。
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九階の窓にてんとうむしの腹
焼きたての香のパン届く朝涼し