俳句の写生 原点に『挨拶』

台風一過、仙台は晴天。
宮城県にも多大な爪痕を残していった19号台風、それにしても大型でした。
風よりも雨、それも半端でない雨でしたね。
今もテレビは台風被害を伝えています。

被害にあわれた方々には、心よりお見舞い申し上げます。

広瀬川.jpg
くろ.jpg


ここにブログを始めた原点は、俳句。
何日かで作った句を、どんな容でもいいから、下手でもいいから日記がわりにでもなるかなって。
それが、いつの間にかきちんとした句を作らないと、時には思いたったり、
ま、ブログに載せる程度だからこれでいいや、と未完な、まだ推敲が必要だな、と思っても平気で載せる。
もう、いいんです。
昔のように、季語が合っている、合ってないのどうの、文法的にこれでいいのか、とか思い悩んで頑張っていた自分が懐かしい。
投句締め切りが近くなると、必死のパッチで、あゝだのこうだのこねくり回して、最後は駄作を投句したり。
今は、気楽にやっている。
もう、そんなに長くも無い命、気持ちのいい句(自分にとっての)を作りたい。
出来ないときはまったく出来ない、出来るときはバンバン出来る、それでいい。

そこで突然だけど、俳句の話
俳句の本心(根本かな)には挨拶というものがあると、私は俳句の初学のころ、ホトトギスの同人土山紫牛先生から教わった。
その一番の俳人は芭蕉だと。
”君火をたけよきもの見せむ雪まるげ”
何のことでしょう。
ぼくは雪をまるめよう、君は火を焚いてください。
芭蕉はこどものように雪を楽しみ、友人に呼びかけている。自分は冷たい雪に触れ、友人には火を焚かせ暖まってもらう。
自分より相手をたいせつにするのが挨拶の心。
雪という季語を通して、今この時、この空間を友人と共有しているという奇蹟をたしかめている。
挨拶と季語とのあいだには深い関わりがあると、小澤實は考えていると言っている。
芭蕉は句を詠むことで、友人のみならず、伊吹山や最上川のような山河から、すみれのような小さな花や蛙のような小さな動物にまで、挨拶を贈ってきた。

挨拶という言葉を大切に、初心に還って俳句をつくり続けたい。
ところが、私は写生句がどうもうまく作れないのだ。

歩かうよ誘ふかのやうちちろ虫
彼の人も見てゐるだらう今の月


さてスコットランド戦がはじまる。
そう簡単に勝てるチームではありませんぞ。
さあ、応援しましょう。

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